「普通」ってなに?

こんにちは!

なないろ学習塾倉敷教室です。


今回は、

「普通」という言葉に感じること

について書いていこうと思います。


「普通」という言葉は、無色透明のようにみえて、

とても大きな暴力性と強制力をもっているように感じます。


「普通」に学校に行って

「普通」に大学に行って

「普通」に就職して

「普通」にパートナーを作って

「普通」に家庭を築いて

・・・・


多様性が叫ばれ、個人の生き方について様々な面で「普通」とされてきたことに疑問が投げかけられるようになってきたとはいえ、まだまだ見えないけれど確かにある「普通」への圧に息苦しさを感じている人は多い。


「これくらい普通」

「なんでできないの?」


という言葉に傷ついてきた人もたくさんいるでしよう。


たしかに、社会が求める「普通」を実践できると、生きやすいです。

この社会は、「普通」を基準にいろいろな物事ができあがっているから。


でも、ほんとうに「普通」って、判断基準にできるほど安定した土台なのでしょうか?

みんなが使う「普通」という言葉は、ほんとうに同じ状況を指し示しているのでしょうか?


個人的な話になりますが、

不登校になってから、「普通」とは何か考えるようになりました。

「普通」じゃなくなって、初めて「普通」を考えるようになりました。

「普通」ができない自分を責め続けました。

でも、「普通」にしようとすると、苦しすぎる。

この世から消えたくなる。


自分が生きやすい在り方と、

この社会で生きやすい(=普通の)在り方が衝突していました。


「普通」にならなければ生きていけない


そう思い込んでいました。


「普通」でいれば、「普通」について考えなくて済む。

それは、ある意味楽なことです。

「普通」でいられれば、最低限自分の存在価値が保証される。ように思える。

生きていていいと思える。


「普通」でいられない、というのは、自分の存在が脅かされる事態です。

しかも、自分ではどうにもならない部分について、

「普通」でいられなくなると、存在が不安定な状態がずっと続きます。

たとえ自分で変えられうる部分だったとしても、

そこに近づくだけ、そのことを考えるだけで、

消えてしまったほうが楽だと思うほど苦しくなることもあります。

その場合も、不安定な状態に居続けるほかない。


社会から勝手に押しつけられた「普通」からいったん降りる。

それは、負けでも逃げでもありません。

命を守る行動です。


「普通」から降りることは、勇気がいります。

だって、降りた先に何があるかわからないから。

もしかしたら、何もないかもしれないから。

それでも、命を守るために、その不安定さに飛び込む。


そこから、新しい「普通」が始まります。

自分なりの「普通」を見つけていく。

その過程で、

「普通」って案外脆いものだとわかるかもしれない。

「普通」だった頃、周りに「普通」を押しつけていたことに気づくかもしれない。

いろいろな「普通」を尊重できるようになるかもしれない。


「普通」になれなくても、その痛みを知ることで、

痛みを分かち合える仲間と出会うことで、痛みへの想像力をもてるようになる。

いろいろな「普通」がともにある社会。

そんな社会になっていくように、

塾という場をとおして試行錯誤しています。



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